クロラの絶望プロフィール

プロフィール

クロラの絶望プロフィール

F-15J

  • 1981年:絶望が待ち構えている事を知らず無邪気に無垢に高知に生誕す。就職氷河期世代。好きなものは映画。嫌いなものは雑談、会議、飲み会。将来の夢はパイロットか漫画家か小説家。
  • 1998年:高校在学中に社会現象をテーマとした地元新聞社主催の漫画投稿に4コマ漫画を描き応募。見事入賞し地元新聞社の新聞に掲載される。手にした初報酬は3000円。
  • 1999年:高校在学中にパイロット登竜門である海上自衛隊航空学生の1次試験突破。しかし、2次試験の航空身体検査で基準を満たせず敗退。
  • 2000年:平凡で特に進学校でもない高校を卒業後、トヨタ期間工に従事。初社会人で洗礼を受け6ヶ月の期間満了まで耐え抜き退職。
  • 2002年:自衛隊2等陸海空士試験(今でいう自衛官候補生)に受かり、航空自衛隊としてF-15戦闘機の整備に従事。激務を耐え抜き3年満期で念願の退職を果たす。
  • 2005年:パイロットの夢を捨て切れず、自衛隊で稼いだ全資金をフライトスクールにつぎ込み入学するも、アメリカでの9.11テロ事件後のため留学ビザ取得できず、日本でフライト訓練するも指導者が日本の教官資格持っておらず。先行き見通せず生活費底をつき体調崩し断念。夢を捨てた。
  • 2006年:ヤマザキパン工場に時給630円で入社。超高温常時蒸し風呂状態の釜付近に配置させられ夏を目前に身の危険を感じ退職。
  • 2006年:ヤマト運輸のメール便配達に従事。1通配達で何円の出来高制のため、同地区担当同士のメール便の奪い合いが発生。付いて行けず退職。
  • 2007年:某団体職員の採用試験(地方公務員試験)で受験者130人中3人採用の難関を見事突破。晴れて準公務員身分となる……が、同期に壮絶なパワハラが襲いかかり、やがて自分にも降りかかる。人間関係に耐え切れず準公務員身分を捨て去り入職7年目の2014年に退職。
  • 2010年:在職中に小説の執筆を始める。応募先は芥川賞受賞者をたくさん輩出している文藝春秋の文學界新人賞、最大手ライトノベルの登竜門電撃文庫の電撃小説大賞、富士見書房のファンタジア大賞等々、ジャンルを問わず執筆しては応募していたが、見事撃沈する。応募動機は、仕事辞めたいから……。
  • 2014年:医療系短期大学に社会人として入学。18歳、19歳の学生に交じって1人30代が臨床検査技師免許取得を目指し、3年間の熾烈な専門科目、医療実習を経て、臨床検査技師国家試験に合格。
  • 2017年:徳島、高知、鳥取、石川、新潟、東京、埼玉、福島、青森……全国を飛び回り、ありとあらゆる病院の採用試験を受験するも年齢が壁となって落ちまくる。唯一受かった関西の病院に採用されるも、超絶パワハラ女上司が立ちはだかる。3人居た検査室で入れ替わるように1人笑顔で退職し、超絶パワハラ女上司と2人っきりになる。当然体調を崩し退職する。
  • 2018年:福祉系大学に社会人で編入学し、仕事と学業を両立させる。2021年の春、卒業を迎え、学士号を取得する。
  • 2018年:パチンコ店にアルバイトで入社。一回り年下の先輩に指導されながら生活費と学費を稼ぐ。兼務で夜間パチンコ店清掃もこなすが、やはりパワハラ上司が現れたため、すぐさま見切りをつけて退職。
  • 2018年:太陽光発電のテレアポコールセンターに勤務。1日700件電話をかけまくる日が続いたが契約取れず、生活が赤字続きで見切りをつけ半年で退職。退職日に職場を去ろうとした時、上司が「契約取れたよっ! おめでとう!」と笑顔で叫んでいた。もちろんもう退職したわけで契約手当付かず。無表情で職場を去る。
  • 2019年:iPhoneのテレフォンオペレーターに勤務。猛烈で理不尽な苦情、文句、いちゃもんにさらされ続け、20人居た同期は3人に激減。後を追うように退職。
  • 2019年:ドコモのAndroidのテレフォンオペレーターに従事するも、1ヶ月で契約打ち切り。退職。
  • 2020年:デイサービスに勤務。やはりわめき散らす女上司が現れ退職。
  • 2020年:バス運転士として勤務。7連勤1休、1日15時間勤務、退勤時間から翌出勤時間までわずか8時間の日多数、月80~90時間残業は当たり前の日々を過ごす。
  • 2021年:脱社畜、脱奴隷を目指すと共に、同じ境遇で社畜、奴隷に苦しむ人々に夢と希望と栄光と明日への未来を届けるために、地獄勤務と並行しながらブログ執筆を開始。

『クロライフブログ』とは?

クロライフとは?

とことん自分の好きなように語れる所はこのページくらいなので、このページでは『~です。~ます。調』を使わずに小説風に『~だ。~である。調』を使って語っていこうと思う。

ブログ名は、名前のクロラとライフを掛け合わせて『クロライフブログ』としている。
改めて、『ライフ(Life)』とは、和訳すると、

  • 生活
  • 生命
  • 人生

大まかにこれらの意味が当てはまると思う。

このサイトでは、『ライフ』をテーマとして、『生き方』について情報発信していく。例えば、会社辞めたい人、転職したい人、職業について知りたい人、ブログを始めて稼いでみようと思っている人等々、そのほかにもこれまでの経験から生活改善に役に立つものを情報発信していこうと思う。

また、趣味で小説を書いたり、将来の野望は漫画家であったり、まだまだ人生諦めていないので、そのうちそれらについても紹介していく予定なのでこうご期待☆彡

クロラの生い立ち

『クロラ』とはどういう人物なのか、歩んできた人生を語ろう。

好奇心旺盛な幼少期

イシガメ

ひたすら好奇心旺盛な幼少期だった。テレビゲームをするか昆虫が好きで暇さえあればアミを持って昆虫を取りに行っていた。昆虫採集にとどまらず、トカゲ、コウモリ、時にはアヒルを取ってきて家に持ち帰った事もあった。それに相反し、兄は全くそういうのに興味無し。兄弟の中でも好奇心旺盛ぶりは突出していた。

実家の直ぐ前に川が流れており、今では珍しいイシガメの生息地がある。小学校から帰る途中、ランドセルを置いて川を覗き込み、イシガメをチェックする。川のふちでイシガメが居れば水面から首から上だけちょこんと出して休んでいる。それを忍び足で捕まえに行くのだがそれがまあ難しい。警戒心が強いイシガメは気配を感じるとすぐさま水中に潜って姿を消す。採取率は私のようなプロのハンターで約30%。素人だと5%未満だろう。友だちが先に挑戦するがいつも失敗し、最終的にいつも私が捕獲する。捕獲に成功した時の気持ちを表現するならば、大人がパチンコをやって当たりが出た時の喜びに似ているのかもしれない。

違和感を感じてきた少年期

教室から窓の外を眺める

中学生になると周りのみんなは虫取りとかテレビゲームから、好きな音楽やファッション、異性の話題になっていった。しかし、私は以前と変わらずテレビゲームと虫取りに明け暮れていた。

私は徐々に孤立し、教室ではいつも1人になっていた。休み時間になると1人自分の机に座って、突っ伏したまま窓の外を眺める。風に揺られて木々がせせらぐ音が居心地良かったのを今でも覚えている。

体育では球技が大の苦手。サッカー、バレーボール、特にバスケットボールは心底嫌だった。何といってもドリブルが全く出来ない。ドリブルしようとするとボールを足のつま先に当ててボールを吹っ飛ばし、つま先を抱えて痛みをこらえながらうずくまる。地獄としか言いようがない。

唯一自慢出来るとしたら、足が速い事だった。小学生の時から50m走のタイムはいつもクラストップだった。毎年決まって運動会のリレーに選出される。

懐かしい思い出が、親との約束で、運動会の100m走で1位になったら500円、2位なら300円、3位は200円の支払いを約束してくれた事だ。もちろん500円ゲットしてテレビゲームソフト購入の足しにした。冬を目前にして、来年の3月まで半ズボンで居られたら3000円くれる約束もあったが、そちらは未だ達成できていない。

人生の岐路を模索し始める青年期

教室で絵を描く人

高校生になるとテレビゲームはいまだ健在だが、虫取りはさすがに見られると恥ずかしいという気持ちが芽生えてきて自粛するようになってきた。

生き方について同じ価値観を共有する友人ができ、将来の夢について語らう毎日になった。普通の俗に言うサラリーマンという生き方は考えられなかった。とにかく夢を追い続けようとする夢追い人だった。絵を描く事が好きで、美術の授業の時は自称プロ顔負けのごとく作品作りに没頭した。

そして、いつしか夢の目標は、パイロットになるか、漫画家になるかの二者択一になった。どこまでも青く、高く、広い空の上から地上の景色を見るのが好きで憧れであった。また、自分の世界に没頭し、ストーリーを展開させて創造するのも好きだった。

行動を起こしたのはパイロット志願のほうだった。高校在学中に親を説得し、東京のフライトスクールにまで親を引っ張って向かわせた。フライトシュミレーターの操縦桿を握った時、夢が目の前にあり、それが現実となってリアルに実現可能かもしれないと思うと感動で手が震えた。だがしかし、家に戻って訓練費用を見た時、親は青ざめていた。それはそうだ。裕福でも何でもないただの一般家庭にそんな高額な訓練費を捻出できる余力はどこにも何人たりとも無い。決して無い。それ以降、親は首を縦には振ってくれなかった。

それでも私は諦めず、自己負担の無い自衛隊の航空学生の存在を知り、受験した。1次試験は国語、数学、英語、社会、理科、航空適性検査等々あったが、なんと合格。しかし、2次試験の航空身体検査が壁となって立ちはだかる。私は近視で視力の低下が著しく、当時片眼の裸眼で0.8以上の基準を満たすのは不可能であった。まぶたを細めてインチキする手法でもまず無理だ。0.8のわっかのと切れがどこにあるのか識別不可能だ。自衛隊の広報官の勧めで滋賀県にある視力回復の針施術治療に通ったり、超音波治療器を試したりしたが、ダメだった。

2次試験は不合格。夢を断念し、青春に幕を閉じた。

地獄の釜の蓋が開いた成人期

洗礼を受けた初社会人、そして夢へ

本を読む青年

高校卒業後、もう一つの夢であった漫画家になるという道もあったが、パイロット志望から何故一転して漫画家なのか、普通の生き方が出来ないのかと、問い詰められるのは必至であり、さすがに親に言えなかった。そういう事があって親の勧めで公務員受験のための専門学校に通い、表向きは普通の人生を歩んでいるフリをしながらも、頭の中は夢とロマンに満ち溢れた空想の世界を創造していた。

公務員試験の結果は市役所、消防職員、国家行政等々受けて、郵政職員(当時公務員)と海上保安庁の1次試験を突破したが、どれも2次面接で敗退。来年再チャレンジという道もあったが、ちょうどその頃、トヨタ自動車の期間従業員の広告を新聞で知り、漫画家養成校の学費を稼いでやろうと決意。今でも覚えている。記念すべき奇跡のゾロ目、平成12年12月12日だ(もしかしたら12時12分12秒だったのかもしれない)。その日、1人愛知県豊田市のトヨタ本拠地に乗り込んだ。

現実は残酷だった。19歳という年齢で社会人経験の無い無垢な若造が自動車製造ラインに就いたのだ。洗礼を受けるのにはふさわしい場所だった。1日中立ちっぱなしというのはどこの職場でもある事。しかし、ラインの速度が速くて作業が間に合わない。そのため1日中わずか数メートルの距離を走り回る。力仕事も酷いものだ。全体重をかけて部品を押し込まないと入らない。こん身の力を込めて作業する→間に合わない→走る→脱水症状→塩分&老廃物が下半身の特に足裏に溜まる→強烈に足が臭くなる→こん身の力を込めて作業→強烈に足が臭くなる→∞。退職後も1年間は足裏の臭いが取れなかった。6ヶ月間履いていた靴は異次元の変色と、靴底に謎のすね毛が大量に張り付き、決して嗅いではならない異臭を放っていた。おかげで退職した時には漫画家養成校の学費分は貯金する事に成功した。

しかし、まだパイロットに対する未練がしつこく残っていたのだろう。漫画家への道は目指さず、航空自衛隊の一般隊員として入隊して資金を貯めてパイロットになる道を選んだ。

配属されたのは部隊の中でも1、2を争うほど過酷な整備部隊、その中でも戦闘機の整備で、更に格納庫内での検査隊配属ではなく飛行隊の最前線での列線整備だった。どうせパイロットになるのならと自ら航空機の整備を志願したわけではあるが、ここまで過酷な条件がそろう所に配属させられる人もまあ珍しい。早朝5時には職場に行きハンガーを開け、仕事が終わってハンガーを閉めるのはナイトフライトが終わった22時くらいだ。こういう仕事に残業と言う概念は無い。時間外労働という概念が無いので残業代は出ない。月に何回かまわってくるアラート勤務もあった。24時間勤務でスクランブル発進に備えて常時待機している要員だ。待機しているとある日突然目覚ましいベルの音が鳴り響きスクランブル発進命令の放送が流れる。嫌だ! めんどくさい! と、3秒思っている間も体は反応していて猛ダッシュで戦闘機のそばまで走り抜いている。

今思えばF-15という戦闘機を触っていて、コックピットに平然と座ってスイッチ類を操作して整備していたのが不思議でならない。あり得ない環境にごく普通に当たり前の如く携わっていた。自分の中でも『常識』という勝手に決めつけた枠組みに縛られるのが嫌だった。サラリーマンでなければならない。パイロットになれるわけがない。漫画家になれるわけがない。そういう勝手に決めつけられた常識という枠組みに反発していたからこそこういう環境でも生きてこられたのだろう。

航空自衛隊退職後は作戦通り、資金は貯まった。機は熟し、全ての資金をつぎ込んでちゅうちょする事無くフライトスクールの門を叩いた。当初はエアラインの飛行機志望だったが、取得しなければならない資格が多すぎる。自家用、事業用、多発機、計器飛行証明、定期運送用が必要だ。資金が足りるわけがない。そこで作戦を変更し、ヘリコプターに道を変えた。最低限、自家用と事業用を取得すればプロパイロットになれるからだ。

アメリカでの自家用資格訓練のため、事前に学科試験を勉強した。問題文は全て英語だったが、出題されるところは決まっており、英語の問題集を丸暗記してクリア。出国に備えてビザ申請しに大阪のアメリカ領事館に行った。英語が話せるわけではなかったが、トレーナーと何度も聞かれる英語フレーズを覚えて英会話を練習し、ビザ申請に挑んだ。受け答えは出来たが、アメリカ人職員の表情は終始険しかった。それもそのはず、9.11テロ事件が起きてからまだそんなに時は経っていない。そういうタイミングで、アメリカに何しに行くのか? と、尋ねられて、フライト訓練のため長期滞在します。と言っても渋い表情をされるわけだ。

結果はビザ申請却下され、計画は暗礁に乗り上げた。日本で訓練しようにも指導者が日本の指導教官資格を持っておらず、訓練しても正式な飛行時間として加算されない。免許受験資格で何時間以上フライトしないといけないという基準があるため、訓練して技能は身に付けれても前には進めれない。

絶望の先に見えるもの

絶望の先に見えるもの私ともう1人居た仲間は見切りを付けて故郷に帰って行き、私1人だけとなった。
時を追うごとに生活費は無くなっていく。次第に今自分がしている事に疑問を持つようになった。何でここまで苦労してまでして何のためにやっているのだろうか? 本当にこの道で合っていたのだろうか? 本当にこれがやりたかったのだろうか? 自分の存在意義って、何なのだろうか……。ここまで来ると完全にアイデンティティの喪失である。自己実現しようと限界までもがき、あがこうとするけれど、それ以上決して超えられない壁にぶち当たるとアイデンティティを見失い、絶望する。トヨタの期間工を耐え、航空自衛隊を耐え抜き、貯め込んだ魂のこもった資金をつぎ込んでチャレンジしたけれど、全てが無となって消え失せ、残るものは何も無くなった。虚しかった。

資金はほぼゼロ。毎日無慈悲に食費代が容赦なく攻撃してくる。5階建ての最上階にある部屋の外に出てベランダに立つと、今の心境とは無関係にのどかで見晴らしが良く、水田や草むらが広がっている。時折キジが草むらから頭を出して縄張り主張しているかのようにけたたましく鳴いている。風も無く、静かだ。ふとベランダから下を覗き込む。ここから落ちたら全てが楽になるだろうか。もうこんなに悩む事は無くなるのだろうか。今までの全てをリセット出来るのだろうか。

何もかも中途半端で、実行しても実らない。自分の努力が足りなかったのか。自分はただ無能なだけだったのか。結局、その中途半端が功を奏したと言うべきか。飛び降りる勇気などどこにも無かった。いつも支えてくれた家族の顔が頭をよぎり、こんな不甲斐無い愚かで惨めな自分に対して涙が止まらなかった。その日は一日中泣いていた。

私は決意した。

サラリーマンになろう。そして、どんな事があっても、生きよう。

そして、サラリーマンへ

そして、サラリーマンへ

私は直ぐに行動に出た。パイロットの夢に見切りを付け、訓練を中止。実家に戻ってアルバイトをし、公務員受験のための予備校学費を稼ぐためアルバイトを始める。

ヤマザキパン工場でフルタイムで働き、学費分が貯まると公務員予備校資格スクール 大栄 公務員講座の夜間の部に入学し、日中は午前中別のアルバイトに切り替え、必要最小限の生活出費分を稼ぎながら勉強もこなす生活を9ヶ月ほど続け、最終的に受験者130人中採用者3人という関門を突破し、準公務員身分である某団体職員の最終合格を勝ち取った。

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あれほど反発していたサラリーマンという『普通』の生き方になれる事に喜びを感じていた。土日祝日はもちろん休み。年間休日数は120日以上。年末年始休みや夏季休暇などを合わせると年間休日数130日超えはしていただろう。念願のスーツで出勤し、8:30~17:15まで勤務し、定時ピタリで即帰宅。帰宅後はスポーツジムに通ったり、しばらくおざなりになっていたテレビゲームを再開したりと、絵に描いたようなサラリーマンライフを送る事が出来た。毎年定期昇給はそれなりにあり、年功序列で勝手に昇給し、勝手に役職も上がっていく。定年まで勤めれば退職金は優にウン千万円は確約保障される。不祥事でもしなければクビになる事もまず無い。良き同期にも恵まれ、俗に言う『花金・アフターファイブ』には飲み屋に行き、同期同士で酒を交わし、人生を語り合う。何と恵まれ、至福な時を過ごしているのだろうか。まさにノアの箱舟に乗っているかのようだ。時代は就職氷河期の真っただ中。外界は正社員になる事自体が極めて困難な時期に公務員(正確には準公務員だが公務員と同身分)になってサラリーマンを謳歌している。定年まで勤め上げてガッツリ退職金を頂いて老後を満喫する将来を何の疑いも無く信じていた……が、残酷な運命は無慈悲に唐突に現れ牙をむき始める。

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サバイバルを生き抜く

サバイバルを生き抜く人間関係でのトラブルは想定に無かった。我々同期は気が合うだけあって、温厚、真面目、草食系の集団だ。そういう人種は肉食系、体育会系の人種から攻撃のターゲットになるのが世の定めという法則があるのを理解するのに時間はかからなかった。

まず標的は私の同期への攻撃から始まった。上司からの無視、暴言、物を投げつける(証言によるとその中にハサミも混じっていたという)等々。気に入った人には笑顔で接し、気に食わない人には態度が豹変する。同期はこの状況に職場のトップとも言える局長に状況を相談したが改善されず。やがて私の所でも肉食系、体育会系からの攻撃が始まる。人による態度の豹変は当たり前。無視は日常。何年か勤務を続けていると異変にも気付く。病欠が妙に多い。何年も休んだまま出勤してこない人がいる。超絶真面目で温厚で優秀なのに何故か役職が降格した人が何人もいる。例えば係長や課長から主任に降格等。その人に聞くと壮絶ストレスから自ら降格を嘆願したのだそうだ。

基本、病気休暇を長期で取っている人はうつ病になっているのは間違いない。1回うつ病になると負のスパイラルに陥り、長期病気休暇を取ったところで、この職場に居るという根本的な病の源を断ち切らない限り、職場復帰しても直ぐにまた再発して休む事になる。癌治療と同じだ。根本的な癌を除去しない限り、痛み止めを処方されたところで若干の対処療法にはなるものの、問題解決にはならない。

私の精神も限界に達していた。一番の失敗はこういう生ぬるい環境で転勤が無いという事だった。それはどういう事かというと、一般のいわゆる市役所や県庁では数年おきに転勤がある。そのためどんなに人間関係が悪化しても数年我慢すれば劣悪環境であったとしてもリセット出来る。更に転勤の良い所は年月が経つに連れて濃くなっていく人間関係が、転勤という人の流れを作る事で濃くなっていた人間関係がまた薄まる良い作用をもたらす。貯まってよどんできた水が浄化されてきれいになるのと同じだ。しかし、転勤が無いと貯まった水は浄化される事なくよどんで濁り続ける。人間関係もそれと同じで同じ人間同士がずっと居続けるとまるで親戚縁者のように互いに対して深く干渉するようになり、少しでも相手の気に食わない所を見つけるとお構い無しに堂々と人を攻撃するようになる。更に生ぬるい環境という最悪のコンビネーションが加わると、不平不満は仕事に対してではなく、ネチネチ人に対しておもむろに向くようになる。流れの無いよどんだ水が温々とした生ぬるい環境で悪臭を放ち腐敗していくのと同じだ。

待遇が恵まれていても、精神は徐々に蝕まれていく。それは目に見えて分かる。周りの景色は全て色を失い、モノクロに見える。何をやっても楽しくない。休日であっても頭の片隅には常に職場の人間関係へのストレスが離れない。日曜日の夕方になると凄まじい憂鬱に襲われる。

『辞めたい』

常に四六時中そればかり考えるようになっていた。『行きたくない』や『休みたい』では根本的解決にはならない。ではどうやったら辞めれるのか。ただ辞めただけでは行き先真っ暗で行き詰まる。辞めた先の道を準備しておく必要がある。辞めたい一心で小説を書き、心の内をぶちまけた作品を新人賞に応募したり、今まで構想を練って創り上げたファンタジー小説を書いて新人賞に応募した時期もあったが、3000人と応募する中でわずか数人しか受賞しない登竜門をくぐれる訳も無く撃沈する。

応募作品評価シート実際に富士見書房のファンタジア大賞に応募した作品の評価シート

そんな中、とある気の合う先輩が婚約者の住む市役所に受験しなんと合格。寿退社して去って行ったのだ。私は夢と希望と勇気をもらい、職場には極秘でまた夜間の公務員受験の予備校に通って勉強し、極秘裏で手当たり次第に年齢の許す限り種類を問わず、公務員試験、もしくは公務員に準じた試験なら何でも受験しまくった。市役所・県庁はもとより、国立大学法人、共済組合職員、文化ホール職員、公営住宅公社職員、動物園飼育員、ゴミ収集作業員、どんな仕事をしているのか全く分からない謎の団体職員等々。だが、1次の教養試験は突破するものの、年齢が壁となる事や、今の仕事から何故公務員を受けるのかを激しく追及され2次の面接でことごとく敗退する。

このままではらちが明かないと道を変え、手に職をつけるため、医療系の国家資格を取得して就職する事にした。理系の学問が得意だった事から臨床検査技師を養成する短大を選び、入学試験に合格。退職口実を武器に晴れて悲願の円満退職にこぎ着けた。今でも覚えている。退職当日のあの光景を。職場の建物を出た瞬間、景色を見て驚いた。景色がモノクロではなく、カラーに見えたのだ。ピンク色の桜の花が満開だった。心地良い穏やかな風に揺られて桜の花びらがピンク色の雪のように舞っていた。言葉に言い表せないくらい、美しかった。

奴隷から解き放たれ、解放された瞬間だった。

安息も束の間。熾烈な医療系学問の勉強、そして国家試験勉強が始まる。18歳、19歳の若者に交じって30代のおっさんがぽつりただ1人で居るのだ。しかし、そんな事は私には関係無い。未来に向かって進むのみだ。止まる事は許されない。生きるために前へ前へ前進する。授業が終わっても図書館に1人こもりひたすら勉強する。家に帰っても日付が変わって夜中2時を過ぎてもまだ勉強する。それが毎日延々と続いた。そして、必要単位は全て取得し、国家試験は無事合格。晴れて病院に就職出来ると思いきや、平坦な道は決して無かった。次々に壁が立ちはだかる。年齢が壁となり、全国飛び回って受けまくった病院は次々と落ちまくる。しかし決して諦めない。唯一受かった関西の病院に滑り込むように入職した。

2度目の予想外に、それは日常に常々あるリスクと隣り合わせであるという事が、今回の就職で身に染みて叩き込まれた。それはやはり人間関係のリスクだ。気に食わない人が居ると決まって無視をする。適切な指導・教育がされない。力の無い新人弱者には無力だ。私と入れ替わるように退職していった先輩は笑顔で消えて行き、私とパワハラ女上司の2人っきり地獄マンツーマン生活が始まった。たった2人っきりの検査室で毎日行われる無視、ノーコミュニケーション、言葉を交わす時は決まって重箱の隅を楊枝ようじでほじくるように陰湿にネチネチしつこく文句を言い続ける。

世の中には自ら命を絶つ人が何と多い事か。都市部では特にそれがよく分かる現象がある。通勤電車に乗ろうとするとよく人身事故による電車の遅延に遭遇する。言うまでもない。自ら駅のホームから身を投げているのだ。私はこういう場面でいつも心に言い聞かせる。

『死んだら負けだ』

これはサバイバルだ。自ら死を選ぶという事は、ただ現実逃避して逃げているだけに過ぎない。それでは何も報われない。策略のため将来のため自己防衛のための逃げは賢い選択だ。だが、先の無い現実逃避のために全てを投げ捨てて死を選ぶ逃げはいかなる理由があろうとも許されない。何故なら、無責任だからだ。無責任な選択をしたために、残された関係者や遺族がどれだけ悲しみ苦しむのかを考えていない。例えどんなに苦しくても、逃げたくても、死にたくても、死なずに済む方法を考え、生きなければならない。それは己に課された生きている全ての人の義務である。

『死んだら負けだ。戦え』

今までの経験から、死に至る心の限界値を知っている。限界値に達する前に私は職場を去った。

再就職での学歴の差別を超えるため、福祉系大学に入学し、アルバイトを転々としながら無事卒業。学士号を取得する。普通の待遇の正社員に就くため機会を伺いながら就活する傍ら、パチンコ店、コールセンター、デイサービス等何でもやった。

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コールセンター 人間関係②

その中で大型自動車2種運転免許を持っていたため、バス運転士の試験を受けて採用が決まった。世間が忌み嫌うように、待遇は残酷だった。7連勤1休、1日15時間勤務、退勤時間から翌出勤時間までわずか8時間の日多数、月80~90時間残業は当たり前の日々だ。土日祝日休みの年間休日数120日や定時退勤とは無縁のありさまだ。帰宅し、晩ご飯を食べる時に箸を持ったまま固まって寝ていたり、ベッドにたどり着く前に力尽きて眠っていたり、それが日常だ。いつものごとく巨大な壁が立ちはだかる。ここまで定例のごとく絶望の壁が現れるといつもの事だと開き直り、慣れてくる。だが決して人生を諦めない。諦めたら終わりだ。立ち止まったらそれで終了だ。

荒波に揉まれながらあがき、もがき、進むしかない。一歩ずつ、前へ、前へ。

生きるとは

生きるとは

世の中には様々なランクの人々が、それぞれの宿命を背負い、共存し合って生きている。上を見たらキリがなく、それと同じく下を見てもキリがない。生まれ育った環境に対して、頑張って精一杯走り抜けるしかない。ただ、ふと思う事がある。人間で無くて例えばゴキブリとして生まれてきたらどうだっただろう。犬として生まれてきたらどうだっただろう。人間として生まれてこれたとしても、紛争地帯で生を受けていたらどうだっただろう。ごく普通に生きている我々には人生をどうやって生きるかという選択肢が幾重にも存在し、それを自己決定出来る。しかし、ゴキブリや犬、紛争地帯の人々はそれが出来ない。運命にあらがう事は出来ない。そう考えると、例えどんな境遇に合ってもがいていたとしても、我々は恵まれている。努力をすれば新たな道が開けて希望の光が灯り、自由に羽ばたかせる事が出来る。

ここでふと思う。

『幸せって、何だろう』

誰もが思っている。永遠のテーマだ。数学の難問よりも難しい。数学で『フェルマーの最終定理』というのがある。これは何か簡単に言うと、x²×y²=z²という関係式が成り立つが(三平方の定理)、xⁿ×yⁿ=zⁿにおいて、n=3以上の自然数は存在しない、というのを1600年代に活躍したフランスの数学者フェルマーという人物が証明したものである。

三平方の定理

しかし、フェルマー自身が証明したとする書き残しのメモがフェルマー没後発見されたが、その証明過程が残っておらず、その後何人もの数学者が何世紀にも渡って証明にチャレンジしたが実現せず、多くの数学者の人生を狂わせたとされている。最終的には、フェルマー没後350年の時を得て1995年にイギリスの数学者によって完全に証明されている。

これだけ難問な数学の問題や、宇宙などの分野でも科学技術が徐々に進展すれば、少しずつでも未知の領域が解明されつつある。しかし、『幸せとは』と考えた時に答えが出てくるのだろうか。人によっても幸せの捉え方は違ってくる。稼げたらそれで幸せと感じる人が居れば、欲しいものが手に入ったら幸せと感じる人もいる。お金や物欲には興味が無く、愛する我が子がいるだけで幸せと感じる人もいれば、孫の顔を見るのを何より心待ちにして幸せを感じるという人もいるだろう。

私の考える幸せとは、日々絶え間なく努力し続け、自分が成長し、今まで出来なかった事が出来るようになり、結果として自分のしてきた事が最終的に世のため人のために還元された時に幸せだなあ、と感じる。何故なら、そうする事によって『生きる力』が備わってくるからだ。生きる力が身に付く事によって、過去の自分よりも現在の自分のほうがより不安から解放され、より安心感をもたらしてくれるようになる。そして、その足跡そくせきが人に評価され、人の役に立てばどれだけやりがいを感じる事だろうか。

サラリーマン時代に過ごした7年間は本当に『無』であった。振り返った時に何も残らなかった。もっと具体的に言うと、いざサラリーマンを辞めた時に、その期間で得た経験を元に同じような待遇で再就職出来るかというと、それは不可能であったからだ。言い換えると、全く成長していなかったとも言えるのである。更に言うと『生きる力』が身に付かなかったという事でもある。

成長するという事は、どんな境遇に合ったとしても、困難を乗り越えて1人でも生きて行ける力を身に付けるという事である。それがどれほどの安心感をもたらしてくれる事か。だから、決して諦めてはならない。どんなに残酷であっても、どんなに打ちひしがれようとも、あがき、もがき、その過程で人は成長し、『生きる力』を身に付ける事が出来る。絶望であればあるほどそれを乗り越えようとする過程で、人は成長する。だから喜んで絶望を受け入れようではないか。感謝して堂々と乗り越えようではないか。

機織はたお仕組しぐみ』という言葉がある。機織はたおり機で白い模様、赤い模様、黒い模様と、様々な色の布を使って織っているが、何を織っているのか現時点では分からない。でも、仕上げてみると美しいタンチョウの絵柄が出来た。今は分からなくともあの時の苦労や、血のにじむような努力はこの時のためにあったんだ、と、やっと分かる時が必ず来る。私の場合だと、あの時のクソみたいな経歴でウジムシのように扱われ、ムシケラのように差別され、ゴミのように肥溜こえだめに吐き捨てられ、ゴロツキのように過ごした日々も、こうしてブログという形で同じような境遇で苦しんでいる人々に、理不尽で絶望と残酷な世界を経験し体験し蓄積された生きた知識という強力な武器を持って人生の道しるべを提供する事が出来る。そして、読者がこのブログを通して問題解決して幸せになって頂けたなら、私にとってこれほど幸せな事は無い。全てが報われる。

最後まで読んで頂き、ありがとう。

これで社畜、奴隷ともおさらばだ!
脱社畜、脱奴隷を目指して今から見つけよう☆
すべての人々に自由で自分らしい生き方を

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